3年前の4月8日午後13時05分、私たちの愛犬(ラブラドールレトリバー、黒、オス)は亡くなりました。
お釈迦様の誕生日に愛犬は亡くなったということになります。
14歳でしたので、大型犬としてはかなりの長生きでした。
死因は老衰であり、亡くなるまでは病気は勿論大きなケガなどもせずとても元気でした。
よって、もう長くないことがわかってからも延命治療などは行わず、家族みんなで見守りながら愛犬の最後を見届けることにしました。
無くなる日の朝、愛犬はとても弱っており息が荒くご飯も食べることができず、少しの水を飲むだけの状態でした。
また、耳はほとんど聞こえず両目は白内障でまともに見えないという状況でした。
ですが、鼻をひくひくさせて必死で私たちのことを探していたのだと思います。
そして亡くなる間際、妹が夜勤から帰ってきました。
すると愛犬は、弱々しくも自力で立ち上がり妹に体を摺り寄せてきました。
愛犬は、特に妹のことが大好きで、彼女が帰宅すると必ず駆け寄ってきて全身を妹に擦り付ける、というのが日課だったのです。
妹に精一杯甘えた後、愛犬は目を閉じて静かに亡くなりました。
とても悲しかったことは間違いないのですが、その後の行動は自分たちでも以外に思うほど冷静でした。
愛犬の亡骸をきれいに拭き、生前お気に入りだった毛布で体を包んであげました。
近所にペットを火葬してくれる業者がいたので、連絡した後すぐに火葬しました。
しかし骨になり骨壺の中にいる愛犬を見たとき、急に今までの楽しかった14年間を思い出してしまいました。
楽しい思いでしかありませんでした。
とても寂しがり屋なので、天国で一人ぼっちでいないかとても心配です。
言うまでもないのですが、ペットを飼うということはいつか来るペットの死を受け入れるということだと思います。
大げさな表現かもしれませんが、ペットを飼うことには大きな決断力とそれに伴う勇気が必要であると痛感しました。
あれから、3年経ちますが愛犬の命日には必ず好物である鳥のささみをお供えしています。
愛犬ことは一生忘れません。